メダリストを観るなどした※この記事には重大なネタバレを含みます
2025.04.10

いや~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ついに観てしまったメダリスト 面白かった、、、、、
結局同時視聴はせずにアニメから原作の最新話まで読んでしまった、、、
この作品、100万500点です(狐並みの感想)
ということでここからは感想を書いていくぜ、アニメの感想と原作の感想を分けて書くから、アニメしか見てない人は原作の感想は見ないでね!!
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※ここから先はアニメ「メダリスト」の感想を含みます。ご注意ください。
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いやマジで面白かったわ
いやホントに。てか、これ正直同時視聴しなくて正解だった。
普通に演技シーンで息飲んじゃったというか、飲まれちゃって言葉なんか出てこねえよ。瞬きすら躊躇う一瞬一瞬のモーションに緊張しちゃって、なんていうか、そこで言葉をひねり出してる暇があったら集中して見ててぇみたいな気持ちにさせられた。喋ろうと思えば喋れるだろうけど、このアニメの最大の魅せ場でもある演技のシーンは、「一観客として観る側」になる事がいっちばん楽しい楽しみ方だってすぐにわかったから、配信でのリアクションに囚われて「純粋にスケートを応援する観客の気持ち」から「ただのアニメを観ている視聴者」の位置に身を置くのが躊躇われたというか、それだけの出来だなって感じる程の映像美だった。マジでめっちゃ良かったんだよホントに。
私はこのアニメの、ではなくこの選手たちの応援者になりたかったんだよね。
そういう感情移入の仕方をしたから、同時視聴しなくて正解だったなと。。。
もちろん、純粋にアニメ作品として捉えて視聴するにも面白いストーリーだったから、同時視聴それ自体はすごく楽しそうだし心惹かれるものもあったので
否定の意図はないことだけはハッキリと真実を伝えたかった(?)
いのりちゃん、ちょっとやばい
やばい。大分やばい。この物語の主人公であり、特異点みたいな存在。
アニメを見始めてから如実に感じ始めた違和感、それは終始感じるいのりちゃんという存在の特異性、物語を動かすための舞台装置だからといえばそれまでだが、あくまでこの世界の1住人として考えたときの異常性、その脅威。原作漫画を読み進めるとその感覚はより強くなった(のちほど語るが)
これはいのりちゃんの実績が~とかそういう話ではなく、その精神性なんだよね。
現実的に考えたらアニメ5話のミケちゃんのように、劣等感や反抗心、どうして自分がこんな目に、大人に媚びるやつが偉いのか?自分は自分らしくいたい、なのに上手くいかない、嫌われるのが怖い、だから受け入れたフリして全部を突っぱねて、気張って、空回りして……みたいに、自分自身に振り回されてめちゃくちゃになっちゃうものなんだよね。むしろそれですら小学生にしては大人すぎる。
ちなみに私はミケ推しです
にも関わらず。いのりちゃんはそれをこの年で既に割り切ろうとしてる。
もちろん割り切りきれずに泣いちゃうこともあるんだけど、その度に「執念」一本で乗り越えていく。そんな様を、とあるキャラクターが「いのりちゃんはちょっと普通じゃないから強い」とハッキリ作中で明言されるシーンもある。これは作品内のキャラの身になって考えれば、やっぱり一目瞭然なんだよね。あえて悪い言い方をすると、超人的で、そして「少し気持ちが悪くて不自然」に描かれてる。それにもちゃんと意図があるんだよね(これも後で語るが)
むしろ光ちゃんの方がよっぽど真っ当なんだよね。
そしてそんないのりちゃんの狂気的な執念は「リンクの上限定の自由」として描かれ氷上の外で生きられない人として表現されてる。まるで夜鷹純のように。。。
って所を描いたのがアニメ化された、謂わば第一部の展開だと思うんだよ。
普通はこんなトントン拍子に実績を積み重ねるなんてありえない、普通はこんなに勇気と熱意を持ち続けられない、普通はそんなにタフじゃいられない。いのりちゃんは始めたばっかりで、設備的環境に恵まれてたわけでもない。
ギリギリの歳。あの日司先生がコーチになることを選んだと同時に、捨てた夢。
その二人の狂気は、読者視点からすれば「物語的」なんだろうけど、作中キャラからすればある種、ヒールのようですらあるんだよね。前に進むことを選んだ、その共感からはあえて遠く描かれていくいのりちゃんに「夢中にさせられる」物語なんだなと、私は感じた。
対照的に、幼少期のいのりちゃんはすごく同情できるような、共感の塊として描写される。まだ超人になる前の頃は徹底的にそう描かれてる。
そしてそんな自分を脱却したいという、「冷たい感情」ではもう走らないって決めるんだよね。そこから改めて「選手いのり」が生まれてくるわけ。
じゃあその初期微動を与えたのは誰って話。
司先生?お姉ちゃん?違うでしょう。
そうだね、光ちゃんだね
この子の目の前でのあのジャンプが、言動が、このいのりというモンスターに「光」を与え、その道を照らしたんだよね。
その光の狂気的な眩しさが、いのりちゃんに狂気的な原動力を灯したんだよね。
物語の真のターニングポイントはあそこなんだよな。
めっちゃいいよね
そしてここからが良いところなので原作を読め。その先を見ろ。。
見なよオレのいのりを。。。
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ここから下は原作漫画のネタバレを含みます。最新話までネタバレします。
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OK?
怖すぎるだろ光ちゃん
エキセントリックさに拍車が掛かりすぎて大人ボコボコにしだすのはもう意味が分からないよ光ちゃん。どうしちゃったの。。。
というのは置いといて、最新話の方で彼女の中にあったいのりちゃんに対する想いや、自分自身の初期微動が語られましたけど……。
あ、ごめん発作が出そう。一回いい?
この二人尊いよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
失礼しました。あまりにも尊くてつい、、、
アニメ版の方での語りでもちらっと話題にしたけど、いのりちゃんって初期のころから夜鷹純のキャラクター像とあえてダブるように描かれてるんだよね。
実際、光ちゃんはそれを指摘していた。その狂気的執着は普通じゃないと。だから強いと。光ちゃんは、四位という結果に対して司先生には不満だったけど、その時点でとっくにいのりちゃんを認めてるんだよね。自分を倒せる存在として。
光ちゃんはずっと、自分のその特異さに気づいていた。才能に、強さに。
そしてそれは前を走るものとして常に誰かを傷つけてしまうものだと理解していた。
だから自分のことを影しか作れない光だと思ってたんだよね。特に理凰くんに対してものすごく後ろめたさがあった。その件ではいのりちゃんに感謝もしてるしね。
その孤独感を埋めてくれたのが、彼女にとってはいのりちゃんだった。
光ちゃんがどれだけ輝いても、その姿に影を落とさない。その氷上での執着を光ちゃんは夜鷹純に似ていると感じていた。それは彼女の憧れそのもの。
光ちゃんが頑張って手に入れようとしても手に入らない、追いつけない執着心。
他人の目ばかり気にして、スケートに興味があるフリをしてた自分。
夜鷹純に焦がれたのも、これがきっかけだったんだよね。
そんな薄い自分を見透かされたことで、初めて自分のモヤモヤの正体を知れた。
いるかちゃんにはスケート舐めてるとか言われたりもしたけど。
憧れてもそのものにはなれない。才能があっても強くても、自分の好きがそこにない。
強すぎるが故に、苦悩できない苦悩。当たり前だと感じて自分を感じられない。
でもいのりちゃんは、それを持ってた。是が非でもここに食らいつき続けたいって意思があった。氷の上でしか生きられない儚さがあった。狂気があった。
その異常なまでの自分らしさに、アイデンティティーに充てられて、光ちゃんはいのりちゃんを無視できなくなる。見てしまう。そこには自分にはなれない夜鷹純の姿が重なって見えていたから。
けど、それはいのりちゃんの、ここで終わりたくない、もっと続けたいって勇気に裏打ちされた熱量だった。そんないのりちゃんの真の姿を見て、どこか神聖視していた、同い年の、当たり前に自分と似たようなところがある、大人の顔を伺ってる彼女を見て、それまで無視してきた自分の本当の知ったんだよね。
いのりちゃんに初期微動を与えたのは光ちゃんで
光ちゃんに本当の一歩目を歩かせたのはいのりちゃん
いのりちゃんの熱量を支えていたのは光ちゃんで
光ちゃんの熱量を目覚めさせたにはいのりちゃん
お互いがお互いの存在を支えあって、必要不可欠でもう一人の自分自身
いのりちゃんが本当に似てたのは夜鷹純じゃなくて光ちゃんなんですよ
私はあなたのために滑っているよ
あなたのライバルにふさわしいのは私だけ
おっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっも……
この二人、ゲロ吐くほど重いのである。
これがいのりちゃんがあえて共感値の低いキャラになっているかの回答でもある。
この世界に存在していいのはこいつらだけなんだよ。そりゃ感情移入はできても共感なんかできんわな。だって賭ける想いも違ければ、才能も違うからね。
光という存在に近づけるために、ファンタジーレベルの主役的才能がいのりちゃんにあるのは、この構図が成立するためなのだ。メタ的に言えばね。
そらノービスで四回転二種類も飛ぶし(意味不明)光にも勝ちかけるわけ(意味不明)
納得してくれたか?この尊さを。、。。。。
にしてもこの二人は、それまでずっと対照的に描かれてるんだよね。
光ちゃんの犠牲にすることへのマインドは夜鷹純に憧れてのものだったけど、対していのりちゃんと司先生は犠牲にしない強さを主張していた。
光ちゃんは自分の才能を自覚してたけど、それを当たり前だと感じてた。夜鷹純を真似していたから。当然だと。
いのりちゃんは自分の才能を自覚出来ていなかった。司先生のように。他に何もなかったから。
そして光ちゃんはいのりちゃんを夜鷹純のようだというけど、司先生は光ちゃんを夜鷹純に重ねて見てた。
光ちゃんはそんな自分を司先生と似ていると自己評価していた。
ここまで徹底的にミラーリング描写をしていたんだよね。なのに、ここにきて光ちゃんは「初めて自分の力で滑った」し、いのりちゃんの弱さを見て「自分みたい」だと言ったんだよ。
これは作劇上、一貫して夜鷹純を異常なキャラクターとして描き、司先生を夜鷹純に成れなかった人として表現しているからなんだよね。
ほら、光ちゃんも自分は夜鷹純になれないって言ってたでしょ。
これしれっと回収してたけどそういう意味合いだと思うんだよね。
だから光ちゃんは司先生に「もっと犠牲に出来たんじゃないの」って言った。
光ちゃんは司先生にきつく当たるけど、これも一種の同族嫌悪なんだよな。
犠牲を払えば勝てるってもんじゃない、その言葉はきっとその通りなんだ。
だけど、光ちゃんにとって自分自身の指針に掲げる夜鷹純は疑えない。
それはつまり自分自身を疑えないってことでもあって。
でも司先生は「その点はもう通り過ぎたんだ」っていのりちゃんを導こうとした。
いのりちゃんはそれを信じてついていく。犠牲にしない強さを。
だからいのりちゃんと自分が似ていたことにがっかりしかけた。
犠牲にすれば自分みたいに勝てるのに。夜鷹純みたいに。なのにただの女の子の一面がそこにはあった。人よりちょっと心が強いだけだった。それはヌルさにも映る。自分よりも夜鷹純に近づけそうな女の子が。
でもその本質に気づいた。自分がいのりちゃんを好きなのは、そんな勇気があるからだって。
スケートが好き、司先生が好き、司先生の諦めたその夢を背負い、一人継ぐ覚悟を決めた、拾うことを決めた勇気が、いのりちゃんを作ってるって。
夜鷹純になろうとはしていない、自分の道の歩き方を教えてくれるからだって。
だから光ちゃんは夜鷹純を、箱庭を捨てることができた。
犠牲にしないことが間違ってるわけじゃない。でも犠牲にしたことで自分の進むべき道が見えた、そう思えたからすべてを否定するのではなく、その犠牲すら素晴らしかったのだと思えた。だから衝動を思いだせた。夜鷹純のスケートを…
世界で一番かっこいいスケートを、彼のその幸せを。
それが彼女の言う「自分の生き方が最も眩しいと証明する事」でもあり、夜鷹純を犠牲にする覚悟だったんじゃないかなあと。
自分のやり方で、って言う確固たる意志は、自分を信じて疑わなくなったってことであると同時に、いのりちゃんのやり方を「いのりちゃん」ごとセットで認めたからでしょう。いのりちゃんの中の夜鷹純を見ていた頃は、ヌルいやり方じゃいのりちゃんが腐っちゃうくらいに思ってそうだったけど、今はまっすぐいのりちゃんを見てるしね。自分が間違ってたと。もう夜鷹純であることを求めてはいないし、そこにある熱量が今のいのりちゃんを作っている点では自分の熱量を手に入れた今の光ちゃんと同じだしね。
ずっと犠牲厨やってたのも夜鷹純の影響だったってだけで、今は自分自身を手に入れて覚醒したし、いのりちゃんにももう一度ここに来てほしいって顔してたからな。いのりちゃんが再び歩き出すための、初期微動をもう一度揺るがす最高のパフォーマンスで、熱量で。今まで自分がいのりちゃんに貰ってた熱量を返すがごとく。
だから今の光ちゃんはその犠牲すらも自分のものとして味方につけてる感じ。
自分について行っても幸せにはなれない、夜鷹純はそう言ったけど、今の光ちゃんは自分の幸せを見つけたし、その中にはこれまでの犠牲も夜鷹純から貰った全ても含まれてるんだろうから。
その点ではやっぱりいのりちゃんと光ちゃんは対象的であるんだけど、今の光ちゃんはいのりちゃんの中に夜鷹純を見たりしていないし、そのやり方に対しても一定のリスペクトをしてる感じ。ライバルって認めてるしね。
でもこの流れで行くと、いのりちゃんもそのうち司先生のとこから
巣立っちゃいそうで悲しいんだよな、、おれのいのり、、、、、、
でも手を放していかないといけないんだもんな。。。。。。
思ったんだけどもしかしてこれ、いのりちゃんと光ちゃんのいちゃいちゃ漫画なのでは??????????????????

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